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先日金沢まで日帰り出張に行ってきました。
朝6時半に大津を出発して休憩しながらゆっくりと3時間半
10時に現場に到着しました。
某スーパーマーケットの改装工事の為の現場調査と打合せです。
打合せも終わりお昼過ぎに
「せっかく金沢まで来たし何か金沢名物が食べたいな」
するとアルバイトに来ていた長男が
「金沢カレー チャンカレ行きたい!」
ちゃんかれ???
早速スマホで検索して現場から一番近い
カレーのチャンピオン 堀内店へ向かいました。
午後1時を回っていたこともありましたが店内には3組のお客さんがいましたがすんなりと席につくことができました。
迷うことなく「平日サービス Lカツカレー」を注文
カレーライスの上にトンカツ定食を乗せたのが始まりという説があるようですが
まさにその通り、キャベツが山盛りでカツにもソースがたっぷりかかった カレーが現れました。
早速いただきまーす!
?????
スプーンじゃなくてフォークがついている。他のお客さんも普通にフォークで食べている。
キャベツやカツを食べるときはよかったのですがご飯を食べるときはさすがにフォークでは食べにくかったです。
でも「郷に入っては郷に従え」最後までフォークで食べきり、ごちそうさまでした。
また機会があれば訪れてみたいです。
京都地下鉄鞍馬口駅近くにある御霊神社
地元の人には「ごりょうさん」と親しみを込めて呼ばれているようです。
現場が近くだったこともあり、待ち時間の間に立ち寄ってみました。
西側にある鳥居から楼門を抜けて中に入ると
平日の午前中ということもあり人影はまばらでとても静かでした。
お参りを済ませ境内を歩いていると
「応仁の乱発端の地」という看板がありました。
”戦国時代の幕開けとなった応仁の乱は、
文正2年(応仁元年)1月18日に、御霊神社(御霊の森)に陣を構えた
畠山長政(東軍)を畠山義就(西軍)が襲撃した御霊合戦が発端となった。”
看板の前の日陰に座り応仁の乱、戦国時代へと続く歴史に思いをはせていました。
仕事に追われる毎日ですが、ふとこのような時間に出会えるとなんだかとても得した気分になりますね。
京都タワーが見える某コンビニエンスストアで
お客さんの少ない夜間に冷凍機入替作業を行いました。
冷凍機と言いうのはクーラーの室外機が大きくなったものを想像していただければわかりやすいと思います。
コンビニやスーパーなどで肉、魚、野菜やジュースが陳列されている冷蔵庫を冷やす為の機械です。
21時過ぎに作業を開始したのですが、駅前という場所柄まだまだお客さんが来られます。
「申し訳ございません。作業をしています。危険ですので近寄らないで下さい。」
と言っても外国の方が多くて通じているのか通じていないのか・・・
もっと語学の勉強をしておけばよかった
24時を過ぎて京都タワーの灯りが消え最終電車が通り過ぎると
さすがに人通りも減りました。
この頃には機械の入替作業も終了し接続も完了し
試運転調整の開始です。
特にトラブルもなく順調に冷凍庫は冷却し
制御回路や警報回路のチェック、冷媒ガス量の調整などを行い
翌午前2時に無事終了しました。
このようにお店の閉店後や夜間のお客さんの少ない時間帯に作業を行うこともありますが
集中力が高まり暑さに対する心配もそれほど必要ないため効率よく仕事ができました。
ところでご存じでした?
京都タワーって「和ろうそく」をイメージして作られたものだと思っていたのですが実は「灯台」をイメージして作られたそうです。
でも「ろうそく」にしかみえないのですが・・・
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沖縄県庁から車で約40分
沖縄本島の南端、糸満市にある沖縄平和祈念公園
ここは平和の礎という慰霊碑と資料館があります。
公園の中央には平和の火が灯されていてそこから放射状に広がるように波をモチーフにした慰霊碑が並べられています。その波が海を通じて全世界に広がって行くようにという思いが伝わってきました。
慰霊碑に刻名されているのは性別、国籍、年齢、敵味方関係無く沖縄戦で亡くなった方々全ての人の名前が刻まれています。
多くの名前が刻まれているその最後の部分には空白があるそうです。そしてそこにはまだ毎年何人かの方の名前が新たに刻まれていくそうです。
戦争が無かった平成、そして令和という新しい時代を迎えようとしていますが、まだ沖縄の人の心の中では戦争は終わっていないのかも知れません。
川西能勢口駅前のスーパーマーケットで改装工事を行っています。
通勤時車で通る度に、あれは何かな?
と気になっていた物があったので
お昼休みに散歩を兼ねて見に行ってきました。
そこには”車輪のモニュメント”と書かれており次のような説明がついていました。
Memorial 1981.12.19
「ここに、川西能勢口駅-川西国鉄前駅 現JR川西池田駅間を結ぶ能勢電鉄の線路約0.6kmがありました。
大正6年から昭和56年末まで多くの乗客や貨物を輸送し、川西の発展に深くかかわりましたが、
駅周辺再開発事業に伴い、この日のさよなら運転を最後に輝 かしい歴史に幕を閉じました。」
わずか 0.6km の線路でも昔は賑わっていたのでしょう。
線路が走っていたと思われる道路を歩いていくとJR川西池田駅に到着。
何か当時の面影が残るものはないかと探していると
”車輪のモニュメント”の近くに「懐かしの情景 1917-1981」と書かれたマンホールを見つけました。
そこには
「ここは、能勢電鉄(川西能勢口-川西国鉄前約0.6km)の廃線敷跡です。かつて、ここに歴史を刻む電車が走っていました。」
という説明と共に自慢げな顔をした電車の写真があしらわれていました。
地元の方々のこの鉄道に対する愛情が感じられました。
この電車のように、どんなに小さな仕事でも、皆様から愛され記憶に残していただけるような
仕事を目指していきたいものです。
先日、現場で少し時間が空いたので近くを散歩しました。
琵琶湖岸に来てみると、いいお天気なので遠くまで綺麗に見渡すことができます。
そこに「常夜灯」と書かれた大きな建造物がありました。
調べてみるとこれは「石場の常夜灯」と呼ばれるもので面白い話がありました。
江戸時代この石場(いしば)から琵琶湖の対岸の矢橋(やばせ)との間を渡し船が往来していました。これを「矢橋の渡し」と言って随分と賑わっていたそうです。
その渡し船の目印として1845年に建立された 石場の常夜灯 、高さは8.4mあるそうです。
「矢橋の渡し」 は比叡おろしと呼ばれる比叡山から下りてくる風によって、遅れたり運航中止になることがあったため、このように歌われました。
「武士の 矢橋の舟は早くとも 急がば回れ 瀬田の長橋」
もののふの やばせのふねははやくとも いそがばまわれ せたのながはし
都へ行くなら矢橋の港から天候に左右される船に乗り琵琶湖を行くよりも少し南下して橋を渡った方が確実だ、と。
これが「急がば廻れ」ということわざの語源になっているそうです。
私たちの現場も常に危険と隣り合わせです。危険な近道よりも遠回りでも安全で着実な方法で工事を施工するのが結局早い。しっかりと肝に銘じておきたいものです。